2017/01

言語というのは不完全な手段だなってつくづく思うよ。概念を言葉に落としたところで一気に質が落ちるんだ。私がしゃべり下手なだけかもしれないけどね。

それにしてもだよ、Aだ、Aだっていくら言っても相手はA'とかA''とかBとかCとか"あ"とか"α"とか"Д"とかそういう風に受け取ってしまうんでガッカリすることも多い。相手の中での解釈が都合の良いものになってしまってこちらの伝えようとしていることと変わってしまっているんだよね。

そもそも自分と他人は違うんだから同じものを見たって認識が違うのは当たり前のようにも思えるけれど、これはこうだ、こうするんだって伝えたいのが伝わらないのは伝達手段としては欠陥だよね。

それでもクドクド言い続ければ次第に伝わるようにはなってくるので同じことを言い続けるってのはそれなりには効果はあるようだ。ともあれどこかでこれはこうなんだっていうのを自分が実感していかない限り本当の理解には至らないんだろう。本当の理解って何かわからんけど。

そんなこともあるので受け取る側にしても受け取って、考えて、また受け取って、ってのを意識した方がいいんだろうね。1回聞いただけじゃふーんで終わるのは間違いないし、いい本は何回読んでも得るのもがあるってのはそういう所にあるんだろう。

それがどうしたって言う話もあるけれど、相手には10%くらいしか伝わらない前提で話したらガッカリすることも少なくなるかなって思ったりしただけなんだけどね。何にせよ伝え続けるってのは情熱っていうほどでもないけれど強い意志の必要なものなんだろうな。


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ってよく言われる話だけれどまあそうだよね。というかいつか死ぬという事を忘れていたり自分事として捉えられないってことじゃないかな。

そうはいってもその日は確実に来る。別に恐れる必要はないけれど、それまでにできることは限りがあるってことは意識しておいた方がいいんじゃないかな。
何となく毎日を過ごしていたって、せわしなく過ごしたって1日は同じ1日だ。どちらいいも悪いもないんだけれど、自分の中の納得感ってのは必要だよ。でないとどこかで後悔することになるから。
まあこんなこと文章ヘタな私がここでああだこうだ言うよりもジョブスさんの話でも見た方がわかりやすいだろうけどね。

まあそれはさておき、トレードの場合だってみんな自分だけは死なないと思っているよね。私だって可能性の一つとしてはありうるかもねっていう程度の認識だ。人の死と違って確実に来るものでもないからね。でも退場報告は毎年見かけるし、それが自分に絶対起こらないかなんてわからない。

だからそれは人の死と同じように強く意識しておいた方がいいんだと思うよ。そしたら死なないようにできる限りのことはしようって思うようになるから。そもそも死なないための努力がまずあって、その次にあるのが儲けるための努力だし。
なんていくらここで言ってもガンガン行くヤツは行くし、行かないヤツは行かないんだけどね。



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そろそろ年賀状も片づけるかという事で、一度ざっと見返してみたんだけどある人の近況報告が気になったんだ。

よくある話だけれど異動になって仕事変わりましたって書いてあるんだよね。そしてその仕事はどう見てもその人が好きだとは思えない内容だ。あーそうなりましたか、って他人事ながら思う所も出てきたよ。

そりゃサラリーマンだから不遇な時期もあるだろうしどこに飛ばされようがってのはあるかもしれないけれど、それにしても程度問題ってのはあるだろう。1,2年我慢してその先に何かあるんだったらまあいいのかもしれないし、やってみたら実は面白かったってのもあるかもしれないけれど、特に何も期待できないようなのだったら好きでもないことをやっていてそれでいいのか?ってやっぱり疑問に思うんだ。

そもそもサラリーマンであろうがなかろうが自分が楽しい面白いと思えることをやるのが一番いいのであって、面白くもないことを耐え忍ぶ必要なんて全然ないよ。もしやっていることが楽しくないと思えるのであれば楽しいと思えることをやれるように自分を舵取りすればいいだけだ。

そりゃ明日からすぐにとはならないし間には色々あるだろうけれど、自分で方向性と勢いをつけない限り今が続くだけだよ。自分の人生にとって今が続くという事がどういう意味なのかをよく考えたらどうしたらいいかってのは自ずと出てくるんじゃないかな。

会社辞めろって言っているわけでもないんだけれど、今やっている事以外の可能性なんて幾らでもあるんだから必要であれば追求したらって言いたかったりするんだよね。


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資産曲線なんて書くともっともらしいけれど皮算用のことだ。

なんかちょっと良さそうな方法とか見つけたらおおおっって自分の中だけで盛り上がって、これがそのままいったらこうなるよねってとんでもない線を引くんだよね。他の人は知らないけれど私は数えきれないくらい引いたよ。

でも皆知っていると思うけれどそうはならないんだよね。原因は色々あるけれど環境の問題の場合もあるし、自分の中の問題の場合もある。酷いのだと単なる勘違いだったとかね。どうあれちょろっと思いついた程度の利益率(年率)にトレード数(年数)をかけて指数関数的な線を引いたってそうはならないいや他の人は知らないよ

実際今までの資産増加をグラフにしたとしてもそれなりにガタガタなったり階段状になったりしながら右肩上がりになっている感じだと思う。フィッティングでもしたら何かの指数関数だか直線だかに当てはまるかもしれないけれどあまりにバカバカしいのでそこまではやっていない。

結局できることって今に集中することだけなんだよ。明日以降どうなるかなんて何もわからないし資産の増加なんて結果でしかないんだ。
だからといって何もしていないわけじゃないしやれる限りのことはやるよ。それでも言えることって資産が増える可能性が極めて高い行動を選択しているって自分が信じている程度だよ。

その程度だから資産増加を見越した買い物するなんてできないし、ローンが組めないのも客観的に組めない理由があるからだよね。
まあちょっといい話を見かけると心が躍るのはわからないでもないけれど、確かな話なんて実績ベースでないとできないんだよ。


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最近とある本を読んでこの言葉を知った。いい年になると新しい知識を得る機会も減るし、こういう考え方があるのかっていうかそんなこと考えている人がいるのかってほほうってなったよ。

要はキツネとタヌキの化かし合いは死ぬまで続くし高度になっていくってことだ(って私がちゃんと理解しているかは不明)。まあ考えたら当然だよね。何かをやるヤツがいたら当然その裏をかこうとするヤツがいて、またその裏をってずーーっとやって来て今の社会があるんだよね。

で、今の社会も最適化された形態でもなくってとりあえず民主主義資本主義が他のよりマシじゃないのって落ち着いているだけだ。100年後にどうなっているかなんて誰もわからないよ。

って、なんでこれ書いているかって相場でも同じことが起こっているよねって言いたいだけなんだけどね。何らかの優位性のある考え方も出てきてはなくなりを繰り返して今に至っている。裏をかく話なんてタートルとタートルスープみたいのは分かりやすいだろうけど、表に出ないレベルではそれこそ無数にあるだろう。

だから何かやるにしても静かにやるに越したことはないんだけれど、売買する限り何らかの形で株価の変動となって表れるんだからその裏をかかれる、乗じた行動をとられるのは時間の問題なのかもしれないね。ただそのおかげというか、それが延々と続くからこそ優位性は何らかの形であるんだし考えようではいい事だよね。



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